2011年3月21日月曜日

エルヴィス・プレスリー登場!



1枚目のアルバム / エルヴィス・プレスリー登場!

ロックンロールという言葉はエルヴィス登場以前にあるラジオ局のDJが発した言葉だという。
その後、映画「暴力教室」のテーマ曲としてビル・ヘイリーの<ロック・アラウンド・ザ・クロック>が歌われ、これがロックンロールとしてヒットした。と、言ってもピエロはこの曲はグレン・ミラーのようなバンドの延長線にあるような気がする。
56年には女性シンガー、ケイ・スターの<ロックンロール・ワルツ>がビルボード第一位になっている。と、いっても曲自体はバラード。


1956年、エルヴィス・アーロン・プレスリーーーーーエルヴィス・プレスリーはRCAからデビューした。
その記念すべきアルバムが『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』である。


1月10日 <I Got A Woman >を皮切りにRCAで初のレコーディング・セッションを行う。

1月27日 RCA初のシングル<ハートブレイク・ホテル>を発売。

1月30日 <ブルースエード・シューズ>を録音。

2月にTV『ステージショー』3度出演

2月 サンからリリースした<忘れじの人>が全米カントリーチャート第一位になる。

3月13日 アルバム『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』リリース
     
1. Blue Suede Shoes
2. I'm Counting On You
3. I Got A Woman
4. One-Sided Love Affair
5. I Love You Because
6. Just Because
7. Tutti Frutti
8. Tryin' To Get To You
9. I'm Gonna Sit Right Down And Cry (Over You)
10. I'll Never Let You Go
11. Blue Moon
12. Money Honey



■<Blue Suede Shoes ><Tutti Frutti ><I Got A Woman><Just Because>の4曲をアルバムからカットしたEP盤も同時にリリースされる。

■また2枚組のEP盤も同時にリリース、こちらは以下の8曲

Blue Suede Shoes
I'm Counting On You
Tutti Frutti
Tryin' To Get To You
I Got A Woman
One-Sided Love Affair
I'm Gonna Sit Right Down And Cry (Over You)
I'll Never Let You Go



3月17日  <ハートブレイク・ホテル>ビルボードカントリー・チャートで第一位になる。

3月24日  6回目、最後の『ステージショー』に出演

4月 3日 『ミルトン・パール・ショー』に出演、
      サンディエゴの海軍補給基地の空母から中継

4月 6日  パラマウント映画と7年契約を締結(1日にスクリーン・テスト)

4月23日  ラスベガス、ニューフロンティア・ホテルに4週間の予定で出演
                         (不評で2週間で終了)

5月 5日 『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』
      全米アルバムチャート第一位
      RCAビクター史上最高の売上を記録

7月 1日 テレビ『ステーブ・アレン・ショー』に出演。
     非難を考慮し、タキシードを着用させ、体を動かさずに犬に向かって歌わせる。
     まるで道化師だ。ステーブ・アレンは「好評だった」とコメントした。
     エルヴィスは「仕事だから我慢するよ。」とスコッテイ・ムーアに語る。

7月13日  <冷たくしないで/ハウンドドッグ>リリース
      このシングルもRCAビクター史上最高の売上を記録。

8月10日  <冷たくしないで/ハウンドドッグ>共にビルボード第一位。

フロリダ州少年裁判所判事、エルヴィスに体を動かせて歌うことを禁止命令。
違反した場合、即刻逮捕するとし、監視されながら、コンサートを行う。

若者がエルヴィスを支持。擁護運動が起こる。
アメリカの歴史において初めて世代間ギャップが発生。若者文化の誕生。

ロックンロール・ブームが全米に巻き起こる。レコード業界の売上は一挙に3倍になる。

8月31日 RCAは急遽、『ELVIS PRESLEY/エルヴィス・プレスリー登場!』に収録されていた全12曲を6枚のシングルにして一斉にリリースする。音楽業界史上空前絶後の出来事である。
     

9月9日 テレビ『エド・サリバン・ショー』に出演。視聴率82%。
      若者文化の確立を意味する。

11月3日 <ラブ・ミー・テンダー>ビルボード第1位

11月16日 映画第1作『やさしく愛して』公開。

12月8日、2作目のアルバム『ELVIS』をリリース。

そしてーーーー

12月29日 ビルボード始まって以来の快挙!
      トップ100に同時に10曲をチャートインさせる。

1957年

1月6日 3度目、最後の『エド・サリバン ショー』に出演。
(以後、テレビ出演は、シナトラ・ショー、NBC スペシャル、ハワイ・サテライト中継3回のみ)

当時の社会情勢を考えた時に、この『ELVIS PRESLEY/』・・・『エルヴィス・プレスリー登場!』の邦題はやっぱりスゴイ。
ヒットチャートナンバー1になった<ハートブレイク・ホテル>は営業上の政策で意識的に外されているが、ここには永遠のチャレンジャー、エルヴィス・プレスリーがいる。

このレコードは人種差別の問題を根源とする多種多様な理由の非難によって、多くのヒットシングルとあわせて燃やされもした。しかしエルヴィスは「エルヴィス・プレスリーの音楽」が決して間違っていないと信じていた。

サン・レコードのサム・フィリップスは最初にエルヴィスに会った時にどんな種類の音楽が歌えるのかと尋ねた。「僕は何でも歌えます」「僕は誰にも似ていません」この言葉はそのままエルヴィスの人生となった。

サムに歌ってみろと言われたエルヴィスは知ってる限りのあらゆるジャンルの楽曲を歌ってみせ、サムに衝撃を与えた。
「僕に必要なものは、僕のアイデアを一緒に作り上げてくれるバンドです」といい、その言葉はそのまま真のロックンロールの創造となった。それはロックンロールをめざしていたというより、黒人の音楽と白人の音楽はひとつに融合できるというアイデアだったのだと思う。

その点が先に出された<ロック・アラウンド・ザ・クロック>やエルヴィスを追いかけたロカビリーたちと決定的に違うのだと思う。
そしてそれはそのまま最後までエルヴィスの道になった。

音楽という芸術の測り知れない可能性を切り開いた。



これはエルヴィス・プレスリーの写真の中でも、僕が一番大好きな写真だ。
1956年ニューヨークへ行ったエルヴィスが買い物しているスナップ。

この時のエルヴィス。プレスリーの気持ちを考えたら、胸が焦げそうになる。
おそらく人生で一番幸せな時間だっただろう。

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