2012年1月10日火曜日

お前が欲しくて / Trying To Get To You



Trying To Get To You / お前が欲しくて


レディガガってそのファッションも、パフォーマンスも、やりたい放題って感じですごいですね。ビートルズの時代には考えられない奔放さです。ビートルズが日本に来てコンサートした時って、行ったら退学って言ってた学校があったくらいですからね。  

エルヴィス・プレスリーは、とうとう日本に来なかった大物だけど、さらに状況はひどく腰をふっただけでアメリカでさえ下半身を放送しなかったし、プレスリーが子供を堕落させていると言ってレコードを焼却した教会もたくさんあったといいます。あるコンサートでは身体を動かしたら逮捕すると逮捕状を手にした警官が取り囲んだこともあったそうです。もし、その時代にレディガガが彼女らしくやったら死刑ものですね。  

プレスリー登場はアメリカでも事件だったのです。エルヴィス・プレスリーの際立った音楽性のひとつに、黒人の歌を歌うと白人のように聴こえ、白人の歌を歌うと黒人のように聴こえる点があることです。

さらにステージの動きが黒人っぽい。それは彼が貧しい家庭で育ち、黒人が多い地域で育ったということ、信仰の強い母親のもとで教会に通いゴスペルに親しんだことが影響していたからです。 彼のパフォーマンスで黒人差別の問題に火がついた。


プレスリーはただ音楽をしただけなのに、ロックは不良の音楽というラベルが長い間貼られました。 事件になるほど「反体制」の印象が強まり若者のヒーローになった。 それ以来「反体制」がビジネスになると知った音楽業界は反体制を利用した。 ビートルズも挑発するような言動を好んだ。 英国パンク最大のスター、セックスピストルズはその顕著な例です。本人らは普通の若者だったけど、マネジャーらが王室批判のようなことを仕掛けて騒然とさせスターに仕立て上げた。


プレスリーは批判の集中砲火を浴びていたときに「音楽が人を不良にするなんてことはあり得ない。自分はそんな育てられ方をした記憶もない」と反発しています。ジョン・レノンは「エルヴィス以前には何もなかった」と言ってますが、それを追求していくと自由の解釈とあり方に突き当たります。ロックの原点にあるゴスペル、R&Bなど黒人音楽を白人が演奏したからって何が悪いの?という素朴な疑問です。  

ロックって何だろうという疑問は、自由って何だろうに通じます。自由は体制に反発することではない。体制から離れることでもない。 合宿していた自衛隊の食堂で「ハウンドドッグ」が流れてきたときに癒されたのがプレスリーとの最初の接点でした。ボクがリアルタイムでプレスリーを聴いたわけじゃないのに、プレスリーが好きなのは、一番最初に自由の意味を教えてくれたからです。





自由とは自分をコントロールできることです。つまり良識と良心を失わずに思ったように行動できるということなのです。 そして幸福な成功とは、自由に感じて、考え、行動するプロセスそのものなのです。達成出来なかったから失敗だったというのは自由でも何でもない。それってとっても不自由な考え方、感じ方で、達成の度合いに関係なくすでに不幸せなのです。  

「失恋したから悲しい、不幸だ」なんて全く狂気です。そんな人は最初からおかしくて、恋しているわけでも、愛しているわけでもない。「アンタのこと思うから、アンタもオレを思え」という単なる取引でしかない。もしそれが変でないとしたら、相手の自由、人格、都合はどうなるのって話なのです。ストーカーがどれだけ変な行動か分かるでしょう。全く不自由な世界です。恋愛する前にそんなに不自由な世界に生きておもろいか。

 成功も同じで、傷つくのが怖いからトライしないなんて、そんなに不自由な世界に生きて、お前それで生きてるといえるのか。

1956。エルヴィスはけもの道を走ったのです。
ファンに最高の曲はどれかと言えば、ものすごく多くの曲が飛び出すだろう。
そのなかに必ず入るだろうと思えるこれだ。

お前が欲しくて / Trying To Get To You

ここでは伝説の1968年、テレビスペシャル版でお楽しみください。